2026年07月05日
*本文:ローマ書1章18-32節
ローマ人への手紙でパウロは、救いについて語る前に、まず罪について語っています。なぜなら、自分が病気であることを知らなければ、医者を求めることがないからです。イエス様も、「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく、病人です」と言われました。私たちも、自分の罪の深さを知って初めて、救いの恵みがどれほど大きいかを知ることができるのです。
パウロは、すべての人の不敬虔と不義に対して、神の怒りが現されていると語ります。不敬虔とは、神様を信じず、神様を心の中心に置かない罪です。不義とは、人を傷つけ、不正を行う罪です。人との関係が壊れる前に、まず神様との関係が壊れています。ですから、すべての罪の根は、神様から離れて生きることにあるのです。
神様は、ただ恐ろしいお方として怒っておられるのではありません。神様は私たちを造り、愛し、育ててくださったお方です。それなのに、人間は創造主を知らず、神様に背を向けました。神様の怒りの中には、愛を拒まれた深い悲しみがあります。愛が大きければ大きいほど、その愛が拒まれたときの痛みも大きいのです。
しかし神様は、人間が神様を知ることができるように、理性と良心を与えてくださいました。私たちは正しいことと悪いことを考えることができ、心の中で良心の声を聞くことができます。また、人間の魂には、神様を求める心があります。どれほど多くのものを持っていても、神様のうちに憩うまでは、本当の平安を得ることはできません。私たちの心の渇きは、神様によってのみ満たされるのです。
さらに、神様は造られた世界を通して、ご自身を現してくださいました。空、星、太陽、海、木、花、そして私たちの命を見ると、そこには驚くべき秩序と知恵があります。この世界が偶然にできたとは考えにくいのです。造られたものがあるなら、それを造られた創造主がおられます。自然は言葉を使わなくても、神様の力と知恵と栄光を私たちに語っているのです。
それでも人間は、神様を神様としてあがめず、感謝もしませんでした。そして、神様の代わりに、お金、権力、名誉、人間、欲望などを心の中心に置くようになりました。これが偶像です。神様を失った人間は、必ず別のものを主人にしようとします。しかし、造られたものは私たちを本当に救うことも、心を完全に満たすこともできません。
人間が神様を拒み続けると、神様はその人を自分の欲望のままにされます。これは、神様が喜んで見捨てるという意味ではありません。愛は強制することができないからです。神様は人間に自由を与えられました。しかし、人間が最後まで神様を拒むなら、その結果として、心は暗くなり、貪欲、ねたみ、争い、うそ、憎しみ、無慈悲など、多くの罪に支配されるようになります。
罪の報酬は死です。人は一度死に、その後、神様の裁きを受けます。しかし、神様は罪人である私たちを滅びるままにはされませんでした。神様は私たちを愛し、ひとり子イエス・キリストを与えてくださいました。イエス様は、私たちの罪を背負って十字架で死に、よみがえられました。ですから、私たちには救いの道があります。イエス様を信じる者は、滅びることなく、永遠の命を得るのです。私たちに必要なのは、ただ主イエス・キリストです。