2026年10月04日
ローマ書4章13節から、パウロはアブラハムに与えられた「約束」と「信仰」について語ります。神様の祝福は、血筋や家柄によって自動的に受け継がれるものではありません。アブラハム自身も、もともと特別な家系に生まれたから選ばれたのではなく、神様に呼ばれ、その言葉を信じたことによって信仰の父となりました。このことは、どのような家庭や環境に生まれた人であっても、神様の前では新しい人生を始めることができるという希望を与えてくれます。
神様はアブラハムに、「あなたを通して地上のすべての人々が祝福される」と約束されました。これは、アブラハム自身が祝福されるだけではなく、その祝福が彼を通して多くの人々へ広がっていくという約束でした。パウロは、この約束がやがてイエス・キリストにおいて成就したと説明します。そしてキリストを信じる人々も、アブラハムの信仰を受け継ぐ「霊的な子孫」として、この祝福の約束に加えられていると語ります。信仰者は、自分だけが祝福を受けるためではなく、その祝福を周囲の人々へ届けるために生かされているのです。
パウロはさらに、「もし律法を完全に守る人だけが神様の約束を受け継ぐのであれば、信仰も約束も意味を失ってしまう」と語りました。人間には、神様の律法を完全に守ることはできません。律法を知るほど、自分の弱さや罪に気づかされるからです。だからこそ、神様は人間の努力や資格ではなく、信仰によって約束を受け取る道を開いてくださいました。教会も同じように、血縁や社会的な立場によって受け継がれるものではなく、神様を信じる信仰と御言葉によって受け継がれていくべきだと語られました。
では、アブラハムの信仰とはどのようなものだったのでしょうか。聖書は、彼が「望み得ない時に望みを抱いて信じた」と記しています。アブラハムは年老い、妻サラも子どもを産むことができないと思われる状況にありました。人間的に考えれば、神様が約束された子孫が与えられる可能性はほとんどありませんでした。それでもアブラハムは、自分の状況よりも神様の約束を信じました。信仰とは、現実を無視することではなく、現実を知りながらも、それを超えて働く神様を信頼することなのです。
サラもまた、神様の約束を信じる信仰によって新しい命を与えられました。聖書は、彼女が子どもを産むには遅すぎる年齢であったにもかかわらず、約束してくださった神様を真実な方と信じたと語っています。人間の力では不可能に見える状況の中で、神様はイサクという新しい命を与えられました。ここで示されているのは、信仰とは自分の能力を信じることではなく、自分にはできないことをも成し遂げることのできる神様を信頼することだということです。
パウロはこのアブラハムの姿を通して、「死者を生かし、無いものを有るものとして呼ばれる神」を示しました。アブラハムとサラの状況は、人間的に見れば「死んだも同然」でした。しかし神様は、そこから新しい命を生み出されました。これは後にイエス・キリストの復活によって、さらに明確に示される神様の力でもあります。聖書が語る希望は、すべてが順調な時だけ持つことのできる楽観的な気持ちではありません。もう道がないように見える時にも、神様にはなお新しい道を開く力があると信じる希望なのです。
この箇所を通してパウロが伝えようとしている中心的なメッセージは、「神様の約束は信仰によって受け取られる」ということです。私たちの家柄、能力、過去、年齢、状況がどのようなものであっても、それだけで神様の可能性が閉ざされることはありません。アブラハムが望み得ない時に望みを抱いたように、私たちも自分の限界だけを見るのではなく、「死んだ者を生かす神」に目を向けるよう招かれています。信仰とは、不可能に見える現実の中でも、神様の約束と真実を信じて歩み続けることなのです。
ローマ書4章20~25節では、アブラハムの信仰がどのようなものであったのか、そしてその信仰がイエス・キ...