礼拝説教

恵みと平安があなたがたにありますように。


2025年07月28日

*本文:テサロニケ人への手紙第一 1章1節
 
†今日から《第一テサロニケ人への手紙》の講解を始めたいと思います。聖書にはパウロの手紙が13通あります。このパウロの手紙のうち、《エペソ人への手紙》、《ピリピ人への手紙》、《コロサイ人への手紙》、《ピレモンへの手紙》は獄中書簡と呼ばれています。そして、《テモテへの手紙》と《テトスへの手紙》は牧会書簡に分類されます。牧会書簡とは、教会の指導者が牧会活動を行う際に必要不可欠な教えが記された手紙です。
13通のパウロの手紙の最後が《ピレモン書》です。その次に《ヘブル書》があります。《ヘブル書》も手紙ですが、その形式は他のパウロの手紙とは大きく異なります。この手紙には、13通のすべてのパウロの手紙に見られる挨拶が含まれていません。パウロの手紙には常に一定の格式があります。ギリシャ・ローマの文化は非常に形式を重んじるため、パウロも手紙を書く際には必ずその形式に従って記しました。彼の手紙の構成を見ると、必ず冒頭に挨拶があり、末尾にも結びの言葉と挨拶が置かれています。しかしながら、ヘブル書はそのような手紙の形式を持たない唯一の書簡なのです。

パウロの手紙は、彼が奉仕した教会で起きた出来事と密接に関連しています。そのため、パウロの手紙は《使徒の働き》にその歴史的背景を持っているのです。私たちが使徒の働きを先に学んでからパウロの手紙を読むと、その内容をより深く理解することができます。また逆に、パウロの手紙を学んだ後に再び使徒の働きに立ち返ると、その内容がより明確に理解できるようになります。このように両者は相互補完的な関係にあります。
私たちは《コロサイ書》を学び終え、今、《テサロニケ前書》に進みます。コロサイ教会は使徒の働きに登場しない教会であると説明しました。これはパウロ自身が直接開拓した教会ではなかったためです。しかし、コロサイ書は非常に重要な位置を占めています。その理由は、この手紙に「キリスト論」についての深遠かつ包括的な教理的教えが含まれているからです。

では、《テサロニケ前書》はどのような教えが書かれた手紙なのでしょうか?この手紙には「終末論」についての教えが中心に記されています。学者によって見解は異なりますが、《テサロニケ前書》は紀元51年頃に執筆されたと推定されています。この手紙は、パウロが第二次宣教旅行中にコリントに滞在していた際に書き送ったものです。そして、約6~7年後の第三次宣教旅行の時に、パウロは再びコリントを訪れ、その滞在中にローマ書を著しました。多くの聖書学者たちは、《テサロニケ前書》が新約聖書の中で最も早い時期に書かれた文書であると考えています。聖書を詳細に分析して一つひとつの書を検討していくと、各書が執筆された年代と順序を推定することが可能になります。《テサロニケ前書》は、キリスト教の歴史において極めて初期に著された文書であり、使徒たちの重要な教えがこの中に含まれているため、非常に貴重な文書といえます。そのため、エペソ教会で聖書が編纂される際、《テサロニケ前書》は欠くことのできない文書として収録されたのです。また、コロサイ書が《テサロニケ前書》の前に配置されていることから、信仰者はまずキリスト論を理解し、その基礎の上に立って終末論を学ぶ必要があることが示唆されています。

終末論は、歴史に関する教理です。これは末世論とも呼ばれ、終わりの時代(最後の日、the last day)に関する教えです。終末論を表す英語の“eschatology”は、「最後」を意味するギリシャ語の「エスカトス(ἔσχατος, eschatos)」と「学問」を意味する「ロギア(λογια, logia)」が組み合わさった言葉で、「終末に関する体系的理論」という意味です。私たちが歴史の中で生きていく過程で、「この世界はどこへ向かうのか」、「この歴史はどのような方向に流れていくのか」、「歴史の完成はどのような形で実現するのか」といった根本的な問いが生じてきます。そうした歴史に関する問いに対して明確な答えを提供してくれるのが、《第一と第二のテサロニケ書》なのです。

パウロの教えの主な焦点は「救い」にあります。彼の書簡を見ると、「救いとは何か」について圧倒的に説明しています。相対的に彼は歴史については多く説明していません。彼は救いが歴史の未来よりも重要だと考えていたようです。しかしパウロの書簡全体を見ると、彼が歴史についてどのような理解を持っていたかがわかります。彼は歴史について概略的に説明しています。パウロは、イスラエルの歴史に関する解釈を『ローマ人への手紙9~11章』で説明しています。歴史には中心史と周辺史があります。世界には多くの民族がおり、それぞれの歴史がありますが、神が選んだ民であるイスラエルの歴史は、神の視点からは中心史です。そのため、それが最も重要な歴史です。その歴史に関する解釈が『ローマ人への手紙9~11章』に記されています。また、パウロは彼の書簡のあちこちに断片的に「歴史とは何か」「歴史の未来はどのようなものか」などについて説明しています。彼の書簡の中で歴史について最も多く説明している箇所がまさに、《第一と第二のテサロニケ書》です。

テサロニケは当時約20万人の人口を擁(よう)する都市であり、現代の感覚では200万人規模の都市に相当する重要な中心地でした。ローマ帝国が世界統治を行う際、地中海を取り囲むように主要な街道網を構築しました。この道はローマを起点とし、マケドニアとギリシャ半島を通過し、現在のイスタンブール(ローマ帝国時代のコンスタンティノープル)地域を経て、地中海沿岸を周回しながら小アジア地域の多くの都市を結び、最終的にアンティオキア、エルサレム、アレクサンドリアへと至る壮大な街道でした。テサロニケはマケドニア(現在のギリシャ北部)に位置する主要都市の一つで、このローマの大街道が通過する戦略的要衝でした。「テサロニケ」という地名は、アレキサンダー大王の妹の名前に由来しています。この都市からさらに進むと、もう一つの重要都市であるピリピがありました。

テサロニケ教会の設立については、《使徒の働き17章》に詳細に記されています。ルカはテサロニケでの宣教活動について、簡潔ながらも非常に正確かつ要点を押さえた記録を残しています。皆さんも教会を建てる際、ルカのように歴史を記録しているでしょうか。自分の歩みをしっかりと記録に残すことは重要です。もしあなたの働きが神の国のためのものであり、あなたの足跡が多くの人々が後に続くべき道筋となるならば、それは記録される価値があります。神の国のための教会の記録は計り知れない価値を持つものです。ルカが教会開拓の歴史を克明に記録してくれたからこそ、私たちは今日それを読みながら、まるでその場面を目の当たりにするかのように想い描くことができるのです。

では、なぜテサロニケの信徒たちは終末論に関心が高かったのでしょうか?テサロニケの教友たちは、激しい迫害に直面する厳しい状況の中で生きていました。彼らの日々は試練と苦難に満ちていたのです。このような環境の中で、彼らが切実に願い求めたのは「主の再臨」だけでした。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」(使徒 1:11) この御言葉が示すように、主が再び来られるという明確な約束がありました。さらに、ヨハネの福音書の最後の場面では、ペテロが「…主よ、この人はどうなのですか」(ヨハネ 21:21)と尋ねました。これに対してイエス様は「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」(ヨハネ21:22)と答えられました。「22 イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」23 それで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスはペテロに、その弟子は死なないと言われたのではなく、『わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか』と言われたのである。」(ヨハネ 21:22-23) ここの「わたしが来るまで」という言葉に照らし合わせると、この問答は明らかに終末に関するものです。ペテロの質問の根底には「主よ、いつ再び来られますか」という切実な思いが隠されていたのです。では、主がいつ来られるのかという問いに対する答えはどこに見出せるでしょうか。《マタイの福音書10章》にその手がかりがあります。「…人の子が来るときまでに、あなたがたがイスラエルの町々を巡り終えることは、決してありません」(マタイ 10:23b)と主は明言されました。この言葉は、主の再臨が差し迫っているという緊急性を伝えています。つまり、主はいつでも来られる可能性があるということです。もちろん、その正確な日時については誰も知ることができません。預言者アモスは、神様がそのしもべである預言者たちを通して時を告げられると語っていますが(アモス 3:7)、イエス様ご自身は「ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」(マタイ 24:36)と明確に宣言されました。このような背景から、テサロニケの信徒たちは漠然と主の再臨を待ち望んでいたのですが、彼らが経験する迫害と苦難が増すにつれて、この主の来臨への切望はますます強くなっていったのです。

《第一テサロニケ書》には終末論についての教えがありますが、特に心を打つのは4章にある「空中で主と会うのです」という言葉です。まず、神の御子である主イエスが昇天されました。この昇天は、主の権能の表れです。主は天に昇り、神の御座の右側に着座されました。そして、その主がまもなく再び来られると約束されたのです(マタイ 10:23)。このような約束があったからこそ、テサロニケの信徒たちの心には、主の再臨を待ち望む切実な思いが満ちあふれていました。神学的な観点から言えば、テサロニケ教会は本質的に終末論的な共同体だったのです。彼らは日々の生活の中で、主の来臨を待ち望みながら信仰生活を送っていました。このような霊的雰囲気の中にあったテサロニケの教会に、使徒パウロはこの手紙を記したのです。この手紙は単に彼らを慰め、励ますためだけでなく、彼らの歴史観、終末論、そして主の再臨について一つひとつ丁寧に解き明かしてくれる手紙だったのです。そして続く《第二テサロニケ書》は、また異なる視点から書かれました。使徒パウロには、テサロニケ教会に対して第二の手紙を書く必要があったのです。歴史解釈の観点から見ると、テサロニケ書は極めて重要な文書となっています。

ここまで《第一テサロニケ書》について概観してきましたが、これからは本格的にその内容を詳しく見ていきましょう。まずは使徒パウロの挨拶の言葉から始まります。

「パウロ、シルワノ、テモテから、…」(Iテサロニケ 1:1a)
この手紙の著者は3人の名前で記されています。知恵の書である伝道者の書では、「一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない」(伝道者 4:12)と教えています。パウロとシルワノとテモテ、この三人は福音宣教において素晴らしい協力関係を築き上げました。ここでまず「パウロ」が筆頭に挙げられています。次に「シルワノ」が続きますが、これはシラス(ヘブライ語の名前)のギリシャ語形です。そして「テモテ」が記されています。テモテはパウロが特別に深い愛情を注いだ若き同労者でした。もちろんパウロはシラスも深く愛していましたが、テモテへの愛情は格別なものでした。後に記された第一、第二テモテへの手紙において、パウロはテモテを「信仰による、真のわが子」(Ⅰテモテ1:2、Ⅱテモテ1:2)と呼んでいます。

テサロニケ教会は激しい迫害と逆境下にありました。彼らは単に嫌悪されるだけでなく、常に監視の目にさらされながらも、ひたすら主だけを見上げ、自分たちの信仰を堅く守り続けていたのです。そのような状況にある彼らに向けて、パウロは心からの励ましを込めて、三人の名前による連名の手紙を送りました。この挨拶文に三人の名前がともに記されたのは、パウロの書簡の中でも特筆すべき特徴です。なぜパウロはこのように三人の名前を並べて記したのでしょうか。それは、パウロ自身がこの都市に最初に福音の種を蒔いたとしても、その後実際にテサロニケの信徒たちを霊的に養い育てる役割を担ったのはシラスとテモテだったからです。

「シラス」について詳しく見ていきましょう。シラスはヘブライ人、すなわちユダヤ人でした。この名前は初代教会においてよく知られていました。彼はもともとエルサレムに住むユダヤ人でした。歴史的記録によれば、彼はかつてギリシアに居住した後、エルサレムに戻ったとされています。さらに、イエス様が選ばれた70人の弟子の一人であったという記録も残されています。この歴史上の重要人物であるシラスは、《使徒の働き15章》に登場します。「そこで、使徒たちと長老たちは、全教会とともに、自分たちの中から人を選んで、パウロとバルナバと一緒にアンティオキアに送ることに決めた。選ばれたのはバルサバと呼ばれるユダとシラスで、兄弟たちの間で指導的な人であった。」(使徒 15:22) アンティオキアを誰が開拓したのかについては詳細な記録がありませんが、そこには福音が力強く伝えられ、多くの人々が信仰に導かれました。アンティオキアはテサロニケと同様に、当時の世界において重要な大都市でした。そこで起こった大規模な福音伝道の報告がエルサレムにまで届き、エルサレム教会はアンティオキア教会に代表者を派遣することを決定しました。その重要な役割に選ばれたのがバルナバでした。バルナバはその後、サウロ(後のパウロ)を訪ね、彼と共にアンティオキアに向かいました(使徒 11:22-26)。バルナバとパウロは精力的に異邦人の都市を巡回して教会を設立し、福音を宣べ伝えました。しかし、彼らが伝える救いのメッセージに対して批判的な声が上がるようになりました。この重大な論争を解決するために、エルサレム会議が招集されました。そこでは多くの議論と弁論が交わされ、最終的に救済論が整理されました。この会議の結果、エルサレム教会は異邦人クリスチャンに宛てた公式書簡を作成し、パウロとバルナバに託しました。この時、エルサレム教会は二人の重要な人物を彼らの同労者として派遣することを決定します。その選ばれた同労者こそが「バルサバと呼ばれるユダ」と「シラス」だったのです。ここでシラスが登場します。
パウロとバルナバ、ユダとシラス。このように4人の指導者たちが異邦人の教会に向かうことになりました。シラスがエルサレム教会から正式に派遣されたという事実は、彼が教会内で高い信頼と尊敬を得ていた人物であったことを物語っています。パウロとバルナバはそれぞれどのような役割を果たしたのでしょうか。バルナバはレビ人であり、レビは神殿奉仕のための祭司の部族でした。一方、サウロ(パウロ)は優れた福音の教師、すなわちユダヤ教の律法に精通したラビでした。では、なぜエルサレム教会はユダとシラスという二人の人物を特別に選んで同行させたのでしょうか。「ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、力づけた。」(使徒 15:32) 教会には、大きく分けて《使徒》、《預言者》、《教師》、《執事》という役割があります。特に使徒と預言者の二つの職務は密接に連携する必要があります。奉仕をする際には、この二つの賜物を持つ者たちが協力することが不可欠です。奉仕者は天と地をつなぐ架け橋であり、神の民の代表として権威(杖)を持つ者です。その代表者の傍らには、神の導きを祈り、求める者が常にいなければなりません。だからこそ、エルサレム教会はパウロとバルナバに預言者であるユダとシラスを同行させたのです。
使徒と預言者は、互いに自然と服従しながら協働する関係にあります。では、私たち人間はどのようにして互いに服従することができるのでしょうか。実際のところ、人間同士の服従は容易ではありません。多くの場面で服従することができず、最も親密であるはずの夫婦間でさえ難しいものです。真に服従できる人とは、どのような人でしょうか。それは主の内に生きる者、十字架の愛を深く理解している者だけが、互いに心から服従することができるのです。私たちの間に生じる争いは、どこから来るのでしょうか。それは自分が他者を支配し、主導権を握ろうとするときに起こります。負けることを恐れるがゆえに、紛争と葛藤が生まれるのです。十字架の愛を知る者は、互いの重荷を背負い、相手の事情を自分のことのように受け止め、従います。エペソ5章が示すように、これは夫婦関係においても同様です。このことから、真に服従できない人は、まだクリスチャンとしての本質を体現していないと言えるでしょう。その人は福音の精神を生きていないのです。互いに自然と服従し合う関係は、本当に美しいものなのです。

エルサレム教会はシラスとユダをバルナバとパウロに同伴(どうはん)させました。信頼できるユダをバルナバに、信頼できるシラスをパウロにつけたのです。こうしてパウロとシラスが同役者(どうやくしゃ)となりました。その後、パウロとバルナバはマルコについて意見が分かれることになります。マルコはバルナバの甥でしたが、以前の宣教旅行の途中で彼らから離れて帰ってしまった経緯がありました(使徒 15:36-41)。パウロは一度途中で離脱した者を、さらに重要な宣教旅行に連れていくことはできないと考えました。このことでバルナバとパウロは決裂し、結局別々の道を歩むことになったのです。バルナバはマルコを連れて自分の故郷へ向かい、一方パウロはシラスを伴って旅を続けました。このパウロとシラスの歴史的な同行はコリントにまで及びました。そのため、パウロがコリントからテサロニケの信徒たちに手紙を書く際には、シラスとテモテを含めた三人の名を共著者として記したのです。

「…父なる神様と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたにありますように。」(Iテサロニケ 1:1b)
パウロの挨拶には必ず「恵み」と「平安」が含まれています。では、キリストにある恵みと平安とは、具体的に何を意味するのでしょうか。イエス様を信じる私たちにとって、恵みと平安はどのような意味を持つのでしょうか。なぜパウロは書簡の始めと終わりの挨拶で、いつも「恵みと平安」という言葉を用いるのでしょうか。使徒が語る平安(peace)という言葉は、単なる世の中の平安とは本質的に異なるものです。「わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。」(ヨハネ 14:27)と主が言われたとおりです。この特別な平安は、神の恵みによってもたらされるものなのです。

では、「恵み」とは何でしょうか?「恵み」はギリシャ語で「カリス」(Χαριs, charis)と言いますが、これはもともとギリシャ人の挨拶でした。ユダヤ人の挨拶が「シャローム」(平安)であったのと同様です。では、イエス様を信じる者にとっての「恵み」とは、具体的に何を意味するのでしょうか。それは、主が私たちのために御自分の命を差し出してくださったという究極の犠牲です。「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。」(マタイ 20:28) 「恵み」とは、人間を罪から救うためにご自分の命を贖いの代価として差し出された、その無条件の愛を指すのです。この十字架の愛こそが恵みなのです。主が命を注ぎ出し、血を流すことで私たちを救われたその愛、その正義の行為が恵みです。私たちのために完全にご自分を空しくして、自ら低くなり、死に至るまで従順であられたその姿勢、すなわち十字架の愛が恵みの本質です。この恵みは私たちの人生において最も根本的な基盤となります。なぜなら、その愛によって私たちは新しい命を得、生まれ変わったからです。その愛によって、私たちは命を得ただけでなく、真の平安をも手に入れたのです。平安を得たということは、魂の深い安息を得たということでもあります。
それでは、「平安」とは何でしょうか。それは、元々敵対していた関係が和解に至ったことを意味します。聖書によれば、本来、神様と人間の関係は「敵」であったとされています(ローマ 5:10)。ここでいう「敵」とは、罪の中に生きる人間が神様の前に立つことのできない存在であることを表しています。神様は罪に対して怒りを持つお方なのです(ローマ 1:18)。では、罪人である私たちが神様の前に出るためには、何が必要なのでしょうか。それは「贖いの代価」です。敵対関係にあるものが「贖いの代価」によって初めて「和解」することができるのです。そのため、主は御自身を「贖いの代価」として献げてくださいました。人間はイエス・キリストの十字架の血、その恵みによって神様と和解することが可能となったのです。ヘブル書では、私たちがイエス様の血によって、神様に近づく大胆さを得たと記されています。「こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。」(ヘブル 10:19)

使徒たちは、和解のいけにえであるキリストによって神様との和解に至った者は、人間同士のあらゆる障壁をも取り壊すことができると理解していました。パウロの手紙の中で最後に位置する《ピレモン書》を見れば、パウロの教えの結論が「和解」にあったことがわかります。パウロは、ピレモンから逃亡してきた奴隷オネシモに対して、「私はあなたを必要としているが、あなたは戻って主人と和解しなければならない」と諭し、その和解のために一通の手紙を記したのです。それが《ピレモン書》でした。このことから、福音の根本的な教えとは何かという問いに対する答えは明らかです。それは「和解」なのです。したがって、人間関係において和解することができない人は、真の意味で福音を生きる者とは言えません。そのような人は、本当の意味でイエス様を信じる者ではないのです。
人間と神様との和解は、人間同士の間に存在するあらゆる障壁をも取り壊します。イエス様が十字架につけられた時、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けたと記されています(マタイ 27:51)。「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」とは、いったい何を意味するのでしょうか。ヘブル書は「ご自分の肉体という垂れ幕を通して、」(ヘブル 10:20)と説明しています。これは、キリストの肉体が引き裂かれ、血が流されたことを象徴しているのです。この犠牲によって、私たちは神様と和解し、その御前に立つことが可能となりました。かつては罪のために神様の前に顔を上げることすらできなかった私たちが、今や神様と直接向き合うことができるようになったのです。このように神様と和解することによって、私たちが得た世界が真の平和(シャローム)です。この平和は、当時のパクス・ロマーナ(Pax Romana、「ローマの平和」)とは本質的に異なります。つまり、剣と槍によって強制的に維持される世の平和ではないのです。キリストが与える平和は、世の平和とは根本的に異なる性質を持っています。「恵みと平安」というこの二つの言葉は、私たちクリスチャンが心に留めるべき核心的な言葉です。そのため、パウロは彼の手紙の始まりも「恵みと平安」であり、最後の言葉も「主の恵みと平安があなたがたのうちにあるように」と締めくくったのです。

パウロはテモテとシラスから、「テサロニケの兄弟たちが、驚くべき信仰で天だけを見つめながら忍耐しています」という報告を受けました。テサロニケの信徒たちは激しい苦しみと迫害の中にありながらも、ただ天のみを見上げ、主の再臨を忍耐強く待ち望んでいたのです。このような状況を知り、パウロは彼らに向けてこの手紙を記しました。この手紙は、苦難の中にある信徒たちを心から慰め、彼らに勇気と励ましを与えるために書かれたものです。さらに、終末についての正しい理解を一つひとつ丁寧に教え導く内容となっています。このような背景を踏まえてこの手紙を読むことによって、皆さんはこの書簡が伝えようとしているメッセージをより深く理解することができるでしょう。お祈りします。Ω

#

The Steadfast Love of the Lord

The steadfast love of the Lord never ceases His mercies never come to an end They are new every...

恵みと平安があなたがたにありますように。

2025年07月28日

*本文:テサロニケ人への手紙第一 1章1節   †今日から《第一テサロニケ人への手紙》の講解を始めたい...

たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。

2025年07月21日

*本文:コロサイ人への手紙 3章18-4章18節   †《コロサイ1章》にがキリスト論を語っているとすれ...

あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい

2025年07月14日

*本文:コロサイ人への手紙 3章1-17節   †パウロは、《コロサイ1章》でキリスト論について深く...